前回の柚木沙弥郎さんに次ぎ、パリの伝統ある版画工房イデム・パリ(Idem Paris)とのリトグラフ・プロジェクトに登場するのは、北アイルランド出身のアーティスト、ナイジェル・ピーク。自然に都市に、身のまわりのものに独特の眼差しを向けるナイジェルの世界観に惹かれ、ラブコールを送ってロンドンでお会いしてから2年。パリ、モンパルナスにあるイデムのアトリエで、職人たちと共にテストプリントに取り組むナイジェルを訪ねました。
ロンドンで初めてお会いしてからもうすぐ2年経ちますね。まずはプロジェクトを進めることが出来てとても嬉しく思っています。
(2年という時の経過に対して) 物事を進めるには時間がかかるものだね。
あの後パリに活動の拠点を移されていますが、そのことで何か創作のスタイルや活動の内容に変化はありましたか?
やはり住む場所が変わると、自分でも意識はしていないけど創作にちょっと違う面が出てくることがあるよね。
パリに移る前はスイスにいたけど、その時は「ライン=線」にすごい興味があった。パリに移ってからは「線」というより「面」に、形というよりも「面」をどうやって作り出すかに興味が出てきたんだ。「線」から「面」へ――なぜそう変化したか理由を説明するのはすごく難しい。自分でも分からないけど、今は以前よりもずっと「影」に注目をするようになっている。何がその影を作っているのかではなく、「影(そのもの)」を見るようになっているんだ。なぜかはわからないけど、ただ自分の中でそういう傾向が出てきているから、その本能に従って創作をしている感じだよ。
今までの作品は、水彩やマーカーで、恐らくより身体的に見たもの感じたものをダイレクトに描くことが多かったですよね。それに対して今回のリトグラフ制作では、それを一旦他人の手に委ねなくてはならないわけで、制作工程の組み立てなど、普段のプロジェクトに比べて直接的ではない部分があるのではないでしょうか。そうしたリトグラフの制作プロセスをどう捉えていますか?
僕はこのプロセス自体をすごく美しく素晴らしいものだと思っている。君が言った通り感覚的なドローイングを建築的なプロセスとして積み上げていく面白さもあるし、その繊細なドローイングみたいなものを、職人たちの手に委ねて、あの大きな機械でガーッとプリントして、それで出て来たものがやっぱり繊細(Fragile)であるという点がとても興味深い。繊細さは変わらないという、そのバランスとコントラストに美しさを感じるんだ。印刷機自体の大きさもあるけど、まるで列車みたいな機械の動きを見ると本当に工業的で、それでいてこの繊細な表現が生まれるところがすごく面白いなと。
職人たちとのコラボレーションはいかがでしたか?
今回ここで制作しながら、職人達がどうやってリトグラフのプリント作業をやっているかを観察したんだ。色を作って、それをアルミニウム版に載せていく、それ自体がすごいもう綺麗だなと思って。なんなら出来上がった作品よりそっちの方が綺麗なんじゃないかみたいな。(職人がカラーを載せる様子のビデオをiPhoneで見せながら)、こんな感じでね。(機械に色が載せられ、それが機械の反復で広がっていく様子を見ながら)これがすごく好きなんだ。こうやって色が集められていくところが、すごく美しい。
彼らも作品づくりの重要な役割を担っているわけですね。
彼らは真のアーティストなんだよ。インクを足していく時のこの感じ。
ナイジェルさんは、本の制作をたくさん手掛けてますよね。そういう意味では今までも印刷にたくさん関わってらっしゃいますが、現代の一般的な印刷技術とイデムでの仕事にはどんな違いがあると思いますか?
一般的な印刷は今もう本当にデジタルになっている。それに比べると、リトグラフは機械を使ってはいるけどそこに絶対に人の手が入っていて、マニュアル的な部分、それがあってこそのプリント技術といえるね。完璧なリトグラフと言っても、人の手が入っているから、これとこれちょっとずつ違うんだ、みたいなことがある。それが普通の印刷と全く違うね。
デジタル技術の発達には良い面もたくさんあるので、私自身は必ずしも新しい技術より伝統的なものがいいという立場ではないんです。それでもイデムで刷り上がっていくものを見ると、何か特別なパワーを感じるので、それが何なのかと日頃から思っていて、そういう意味で質問しました。それは人間が完璧ではないもの、ズレとか微妙な揺らぎみたいなものに何かを感じる生き物だからかもしれない、と思っているんですが。
正確な言葉は思い出せないけど「まったく失敗しない完璧な人間は、世の中で一番つまらない人間だ」というようなことをブライアン・イーノ(Brian Eno)というミュージシャンが言っていた。例えばドラマーが失敗なしの完璧な演奏をしても、人の心を動かしたり揺さぶったりするとは限らない。アンダーグラウンドの下手なドラマーの方が、逆に人に伝わることが多かったりする。失敗とか不完全であることを変にロマンチックに考えるのはまた違うと思うけど。例えば何かを描いた時に、実物とスケッチは写真みたいに同じではないけど、僕の中の完璧はこれです、僕の中で翻訳するとこうなります、ということ。僕は自分が完璧じゃないのは分かってるけど、その完璧じゃないことを自分で認めることも、やっぱりすごく大事なことじゃないかと。
(リトグラフ機が回る様子のビデオを見せながら)例えばこれは、本当はここ真っ直ぐなラインんだけど、紙を引く速度がちょっと遅かったからユラユラとなってしまった。でも、もし僕がここでイデムの職人みたいに自分で作業して時間を費やせるとしたら、この「ユラユラ」をどう出すかを1週間くらいかけて見て、それ自体が作品になるようにするんじゃないかな。これは別のミュージシャンの引用だけど「もしまた間違いをしてしまうのであれば、今度はもっと良い間違いをしよう。」という言葉が僕は大好きなんだ。難しいけどね(笑)。
(笑)わざとでは出来ないかもしれませんが、意図しない出会いに発見があったり、それ自体を創作に取り込んでいくプロセスがそこにはあるわけですね。
偶然の出会いからインスピレーションが湧くというのはまったくその通りだと思う。例えばこうやって色を自分で混ぜてこの色を載せたというのではなく、このリトグラフという印刷の技術で1色を載せ、またもう1色を載せたら「ああ、このグリーンになったか!」というような。それもまた新しい発見のひとつだね。
イデー では「Life in art」というテーマで、「日常の中でアートを楽しむ」ことを提案しています。アートと共に暮らす魅力はその美しさや、心地よさに拠ることはもちろんですが、私たちがなにより大切だと思うのでは、アートが日常に新しい視点を与えてくれることです。ナイジェルさんの作品は、身近な風景や建物を題材にしていながら、そこに新しい発見があり、リアリティを残しながらファンタジーを感じさせてくれます。その非常にユニークな視点はどこから来ているのでしょうか。
うーん、わからない(笑)。でも、ものを観察することが好きだな。「あれはどうしてこうなんだろう?」「これはどうしてこんな落ち方をしたんだろう」とか。2週間前にコルビジェのビルをスケッチした際の窓に反射した光景を今でも覚えてるとか、なんでもないようなシンプルなことでも、自分に「なんでだろう」という気持ちを与えてくれるものが好きなんだ。そうやってインスピレーションを得るのは、毎日毎日すごく疲れることでもあって、モチベーションやインスピレーションをキープすること自体がすごく大変なんだ。
例えば公園でランチを食べた時に葉っぱが落ちてくるところを見たんだけど、ヘリコプターのようにくるくると落ちて来て、それをなぜだろうと思ったり、インスピレーションとして強く感じることがある。なぜかは良く分からないけど。母親があまり時間にきっちりした人ではなくて(笑)、母が迎えに来るのを待っている間に色々なものを見る時間があったからかな?
いいお母さまですね(笑)
新しくものを創り出すというよりは、自分の周りにあるもの一つ一つに感謝をしたり、一つ一つのものを丁寧に見ることで自分なりの創作ができているのかな。本当にこのスペース(Idem2F)も大好きで、何回も何千回も描けるくらい。あの扉が開いているロッカーも、素晴らしい。ものすごく大きな機械に、ものすごく小さなスイッチがついているのとか、とてもいいと思う。
ナイジェルさんの作品の題材には自然もあれば都市もあり、ナチュラルなものもあれば人工的なものもある。本も『CITY』と『WILDS』を発刊されていて、2つのカテゴリーがあるように思います。それら2つのものに対するアプローチに何か違いはありますか?
僕が描く対象物として、自分の中では「Built=人工的に作られたもの」と「Unbuilt=自然に存在するもの」があるけど、基本的にその間に違いはまったくないね。例えばテーブルを美しいと思う時、実はテーブルのある部分は自然の中からインスパイアされたものだったりするので、その2つに境界があるとは思ってないんだ。絵を描くことで好きなのは、メトロの小さなチケットが、ビルと同じ大きさに描けてしまうこと。お昼を食べている時に飛んできた鳥が、モンパルナスタワーの周りを飛んでいるように見えて、その2つが遠近法で同じくらいの大きさに見えたりする。そういうことがすごく面白いと思う。単に距離感のトリックではあるけれど。
最近の作品では、イヴォン・ランベール(Yvon Lambert = パリ・マレ地区にあるギャラリー併設のブックストア)で発表した建物のシリーズがありますが、作品のモチーフは、その時たまたま出会ったものなのでしょうか。
イヴォン・ランベールの展示の話をすると、他のプロジェクトをやっている時に通った道沿いにある窓を、この窓が何か気になるなと、息抜きも兼ねて描いたんだ。3つの窓をいろんな角度から描いた24点だった。たまたま描き始めたひとつのものを、色々な角度から見て肉付けしていく感じだね。
今回のテーマは「RETURN」。過去色々なテーマがあったところに再び戻るということだと思うんですけど、この"RETURN"をテーマ選んだのはどういう理由からなんでしょうか。
まず日本での展覧会は初めてなので、自分の過去10年、12年ぐらいずっと創作してきた中から選んだものに戻りつつ、それを新しい視点で紹介することが出来ると思ったんだ。「RE」+「TURN」でTURNさせることによって、また別の視点から新しいものが出てくるのといいと思ったし、古い作品を改めて見ることで、そこに何かを見いだすことができると。そのとき自分の中でホットだったから描いたけど今はそんなに、というものもあるけど、今回選んだ14点については、別の命を吹き込むことによってまた新しい視点で見られる。過去に戻りつつ新しいものを生み出すということを考えて「RETURN」というテーマにしたんだ。
リターンは戻るだけではなくて、ターンして新たに生まれる部分があるということですね。
昨年、日本に短く滞在されましたが、その時の日本の印象はどうでした?
昔から日本には行きたかったんだけど、実際に行けることになったら「もし好きじゃなかったらどうしよう」と不安に思ったりもして。でも行って見たら本当に美しい国だし、時差ボケのおかげもあって毎日夢の中にいるようでした(笑)。前回は本当に短い滞在だったから、次の訪問がすごく楽しみだよ。東京は街が大きいけど、旅行者として行く分には、その大きさに潰されるような気持ちにもならないし。タクシーの屋根についている白いランプがよかったな。あと運転手さんの白い手袋とか。
新しい視点(笑)をいただきました!東京に戻ったら注目してみます。
本当にドアが自動で閉まるのとかすごいよ。あと、日本の駅でそれぞれ違う音楽が流れてるのが、スイスやロンドンと違ってすごく魅力的に聞こえたんだ。その音が好きで、録音もしたよ。救急車の音も好き。優しい音で大好きだよ。
今年は少し長く日本に滞在できるんですよね?
1ヶ月滞在する予定だよ。プランとしては人生でするべきことは全部終わらせてから行き、行った先々で描くというもの。難しいと思うけど。あと鎌倉に素敵な陶器のお店があると聞いたので行きたいな。1つ余分にスーツケースを持って行き、そこに器をいっぱいに詰める。それがもうひとつの野望だよ(笑)。
次回はたっぷり野望を充たしてください(笑)。そして日本での創作も楽しみにしていますね。
約2時間におよぶインタビューで、今回のプロジェクトのこと、自身の創作のことを終始リラックスした様子で応えてくれたナイジェル。今年は日本滞在中に創作活動もするということ。ますますその活動から目が離せないアーティストです。
建築家・アーティスト。1981年英国・北アイルランド生まれ。独自の視点で身近な風景や都市の建物などを題材に、シンプルな中にリアリティを残した作品を発表している。現在はパリと北アイルランドを拠点に、世界各国の企業やギャラリーとのプロジェクトでも幅広く活躍中。リトグラフ作品の発表は今回が初となる。