宮崎県都城市、大きな銀杏の木の横に建つ、味わいのある白い建物。ここに版画家、黒木周氏のアトリエとギャラリーがあります。 点、ブロック、アーチ、重なる、接する、列なる、凹む…身の回りにある自然やあらゆるモノを「カタチ」として切り取り、配置し直し、美しい色をのせていく。クロスグラフという独自の技法で制作された黒木氏の作品の数々は、見る人の記憶や創造を刺激し、その人の経験や思い出の断片とシンクロするような柔らかさやあたたかさにあふれています。 そんな黒木氏の作品が生まれた背景には、家業、音楽、恩師との出会いがありました。
1965年宮崎県都城市生まれ。 多摩美術大学絵画科卒業、同大学版画科副手をへて、ファブリックを貼った板を使った版画・クロスグラフという独自の技法で作品を制作。2002年からは故郷都城市に拠点を移し、作品発表を続ける。近年ではギャラリープラネットルージュ(パリ)やモンコレクションギャラリー(福岡)、酢重ギャラリー(軽井沢)にて個展を開催。
黒木氏のアトリエがある建物は、以前、着物の洗い張りから湯のしなどの作業場として、あるいは着付けや和装教室などとして使われた、代々着物に纏わる仕事を生業としてきた黒木家の仕事場でありました。 曾祖父は、絵付けから染色、染み抜きなどをこなす染色補正職人、祖父は紋型やその道具までも手づくりする手書きの紋書き職人。幼い頃から黒木氏の日常は、着物の美しい絵柄や紋、布、それらをつくるさまざまな道具に囲まれ、豊かな感性が育まれてきました。
こうした家庭環境の中で、自他ともに将来は美術の道を志すものとしながら、地元で学ぶ美術の世界にまだはっきりとした目標を見いだせないでいた頃、近所の小さな書店で目にとまった一冊の雑誌、イラストレーター吉田カツ氏が描いた表紙の絵に衝撃を受けました。兄の影響もあり、小学生の頃からロックやパンク音楽などにのめり込んでいた黒木氏は、吉田カツ氏の自由な感性と奔放な表現力に心を動かされ、音楽と同じようにアートが近しい存在となり、絵やデザインの世界への大きな一歩を踏み出すきっかけとなりました。
現在も黒木氏にとって、絵と音楽は欠かすことができないものになっているといいます。 殊に音楽は、作品制作中も欠かさずかけているそうで、その作品の佇まいに影響を及ぼすことも。さまざまなジャンルの音楽を経て、現在はクラシック音楽もプレイリストに加え、制作に取り組んでいるそうです。
通常のリトグラフは石版かアルミ版を使用しますが、黒木氏の独自の技法である「クロスグラフ」は、ベニヤ板の上に布(クロス)を貼り、油性の材料で描きます。 多摩美術大学時代の恩師である、版画家小作青史(おざくせいじ)氏が考案した、ベニヤをつかった木製リトグラフをベースに、黒木氏が生み出した技法です。黒木氏は、小作先生が今の自分の版画の礎を築いてくれたと語ります。
自国では石がとれないから卒業しても続けていくのは難しいという留学生や、プレス機の値段が高く揃えるのが難しいという理由で諦めようとする学生の声から、長い年月をかけてベニヤで作るリトグラフを開発した小作先生。言い訳をゆるさず、思考を変えて自ら手を動かして解決していくその姿勢、実行力、技術的なこと、全てにおいてヒントを与えてくれたそうです。偉大な恩師の影響をうけ、試行錯誤を重ねてたどり着いた独自の技法が、クロスグラフです。
木版のリトグラフの作品には木目がでてくるため、その表情が面白くもあり、個性も強く、絵に強さが求められてきます。 一方、クロスグラフは布特有のやわらかな質感があり、布で刷った色は、ふくみや奥行きなど、木版とは全く違う表現の広がりと、新たな個性を生み出しました。 黒木氏は幼い頃から着物に触れていたため、布の感触には親しみがあり、布目や織目が見えて、スムーズに自身の感性に馴染んだといいます。
黒木氏の作品を印象づけるそのモチーフは、身近にある自然現象、紐や消しゴムといった目の前の道具、身のまわりのあらゆるモノたち。それらを「カタチ」として切り取り、配置し直しているため、抽象的なようでいて実は具象から生み出されたものであったりもします。
「カタチ」は、黒木氏の手によって美しい色彩を纏った作品となり、心地よい存在感でどんな空間にも馴染むようなおおらかな魅力を持ち合わせています。大きな作品はリビングの主役として、あるいはお気に入りの作品と組み合わせて飾って。小さな作品は玄関やコーナーに上品な彩りを添えます。