Life in Art アートのある暮らし

Interview with coricci

見たことがあるようで見たことのない世界。
そこには物語が広がっていて、私たちの遠い記憶のどこかに響く。

透明感のある色彩と洗練されたタッチで
暮らしのなかで静かに呼吸をするような作品を描くcorrici。
「曖昧な空想の世界に浸ってみると、見たことのないものがふわりと生まれる瞬間があります。」
そう語る彼はどんな景色を見て、どんな想いで描くのでしょうか。
さまざまなお話をじっくりとうかがいました。

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絵を描きはじめたきっかけを教えてください。

子供の頃からいつも絵を描いていたように思います。人、植物、空想の生き物など、いろいろなものを描いていました。オリジナルのストーリーをノートに書いて、そこに絵を足したりすることが好きでした。でも特に上手かったわけではありません。

建物や植物の構造に興味があって、その成り立ちをもっと知りたいという欲求から鉛筆を走らせていたように思います。誰かに教わるというより、一人でこそこそと進めていくことが得意なタイプでした。新宿の紀伊国屋書店で洋書の人体の解剖学の本とか取り寄せては本がボロボロになるまで模写していました。ダヴィンチのように、万物を描けるようにならないといけない、と思っていたみたいです(笑)。

20代ではじめてイタリアを訪れたとき、古い建物や教会の、暗闇の中でボーっと浮かび上がる祭壇画、モザイク画の風合いや質感に圧倒されました。作品と空間が共鳴し、すべてが呼吸しているような不思議な感覚に魅了されました。それから少しずつ西洋の文化に興味が湧いて、まとまった休みがとれたときはヨーロッパを旅して建物を描くようになりました。各地を回りながら神秘的なレリーフの造形、曲線と直線の織り成す構造美をスケッチしていましたね。

モチーフとなっている植物や動物は、どのようなところに着想を得ているのでしょうか?

インスピレーションの湧いている泉を求めて、いつもさまよっています(笑)。外を歩いているといろいろなものが目に飛び込んできて、とりとめもなく妄想します。たとえば群生して咲いている花の配列がキリムの柄みたいだな、とか。飼い主に抱っこしてとアピールをしているシュナウザーが、わがままなおじいちゃんみたいな表情だな、とか。

そんな他愛もない日常の瞬間に触れていると心が満足するのか、そろそろ絵でも描こうかな、となります。運が良ければ。描いているうちにいろいろと浮かびあがってきます。

ひとつ確かなことは、動物や植物は色も形も美しい。その存在自体がインスピレーションだと思います。動植物の形状が美しいと思っているので、たとえ何をデフォルメして描くとしても、大前提として忠実に写し取りたい、という気持ちを基礎にしている気がします。

coricci作品には物語がたくさん詰まっていると感じます。どのような発想で描いているのでしょうか?

物語の挿し絵のような作品シリーズ「ストーリーズ」は、自分でも見たことのない風景がモチーフです。最初は文字を書き起こすところから入ることが多いです。断片的なポエムのような創作メモのようなものです。虚構の世界で自分が迷子にならないために。言葉を並べてみるとイメージが広がりやすいんです。

自分で言うのもなんですが、ヘンテコな挿し絵のようなものが多いですよね。でも作品を見ていて「本当にこんな世界があるかもしれない」と思えるような、説得力を持てる絵にしたいと思って制作しています。そのために虚構の世界に吹いている風や日の光についていろいろ空想を巡らしています。

絵柄が非日常的ですが、一方で作品の雰囲気としてはやさしいもの、見ていて安心感のあるものを目指している気がします。たとえば公園の木々が風でそよいだり近所の川面が煌めく様子だったり。心が晴れやかになる日常の穏やかな幸福感や気分を作品に持ち込めたら良いな、というようなことを考えています。

描くうえで大切にしていることは何ですか?

空想できる時間です。空想から浮かびあがってくるものは、面白いものが多いですね。目に映っていない、自分の記憶や理想と結びついた副産物だと思います。

たとえばミーアキャットを想像で描こうとします。どんな目をしていたかな、目の周りに黒い模様が入っていたかな、どんなポージングだっけ、とあれこれ考えます。そうして空想の「ミーアキャット的なもの」が仕上がります。描いたものをネットで検索した画像と比べると全然違っていて驚きますが、その「ミーアキャット的なもの」も、それはそれでなんだか憎めない存在に思えることがあります。

不完全なものや洗練され過ぎていない温もりには力があると感じます。妥協しないで突き進む姿勢はもちろん大事ですが、どこかで力を抜くいい加減さもある程度大切ですね。バランスを取りながら。良い加減、良い塩梅で。

ネットでなんでも調べられるので、問題と解決が明確に見えてしまいがちですが、あえて曖昧な空想の世界に浸ってみると、見たことのないものがふわりと生まれる瞬間があります。せっかく絵を描くのだから、そんな過程も大切にしたいなと。

描いていて楽しいとき、うれしいとき、あるいは苦労するのはどんなときですか?

絵具は紙の上で予想外な発色をします。基本的に思うようにいきません。最初の方に置いた青が失敗したと感じても、作品の完成を見るころには、結果的に良い味を出したりします。最後までやってみないとわからないところがあります。

サッカーで「ボールは丸い」って言葉があります。どう転がるかわからない。扱いにくい。でもだからこそ練習が必要になる。試合は最後までどう転がるかわからないから、面白いともいえますね。0−1で負けていても辛抱強く机に向かうことが出来るのは、転がるボールを扱うように、絵の制作が展開のわからないスリリングな体験だから。やっぱり逆転して2−1で勝ちたいじゃないですか。

ただもちろん、最初に置いた青はやっぱり失敗だった、ということもよくあります。

尊敬している作家や好きなアーティストはいますか?

川瀬巴水や、吉田博など、品のある色調の作品が好きですね。あとは、ウィルビークル・ル・メールの上品な色彩だったり、もちろん写実を元にしたピーターラビットで有名なポターなんかも好きですし、中欧の絵本などの色使い、ファンタジックな世界にはゾクゾクします。動植物のデフォルメの仕方なんかは、インガー・パーソンやリサ・ラーソンなどもやっぱりすごい。と、挙げたらきりがありません。

また埋もれてしまっている、だれが作ったか分からない優れたものもたくさんありますね。そぎ落とされ過ぎない、素朴なアノニマスな雰囲気のもの。心に響くものがあればなんでも。河原で磨かれたガラス玉も。またそういうものを見つけてきて世に広めて下さる方々も尊敬します。

日常でどのようにアートを楽しんでいますか?

ふらっと美術館に入ります。美術館という空間に身を置くことが好きですね。
結局空間と絵や美術品の織り成す雰囲気が好きなんだと思います。

今回のbotanicalシリーズはどんな想いで描かれましたか?

ボタニカルアートは歴史があります。時代背景によって用途や描き方も表現の幅も多様です。新大陸で見つけた未知の薬草を描いたものから、宮廷に捧げられていたルドゥーテの繊細なバラまで。そんな伝統あるジャンルに自分が足を踏み入れるのは少し緊張しましたが、自分なりのボタニカルアートをシリーズで出したいな、と意気込んで長年温めてきたモチーフでもありました。だから今回イデーさんからお話をいただいて、満を持して出した感じがあります。

ボタニカルアートって、基本的に版画ですよね。版画はニードルで引っ掻いて版をつくり、水彩と油彩の反発性を利用した手法で彩色をしています。だから版画の独特の風合いが出てきます。制作をするにあたり、そんな伝統的な版画で使われる描き方なんかを参考にしながら、僕なりの味付けを加えてレシピみたいなのをこしらえました。描くのではなく、ニードルで凹ませた画面を削って描写したり、薄いベールのように色を何層も重ね合わせることで深みと透明感のある色味にしたり、いろいろ工夫しています。あとスフマートという、指で描く手法も試みています。今回のジクレーは原画再現性が高いので、作品によってはよくよくみると僕の指紋の跡が残っています(笑)。

botanicalシリーズは、飾っていて心地よくハッピーになれるようなものが多いです。「ベルガモットの揺りかご」というタイトルの初々しいグリーン、五穀豊穣をイメージした、たくさん実るチェリーやレモン。家族という意味の「ファミリア」という大きな作品。いろいろあるので、ぜひお気に入りのものを見つけてほしいです。

作品中の文字やマークにはどんな意味がこめられていますか?

作品の欄外などにあるマークのことですね。僕は紋章と呼んでいます。作品に合わせて、即興で思いついた象形文字のようなものを描き込んでいます。文字でも絵でもない模様が好きなんです。

あと枠外などに描き込んだ文字列ですが、意味を成すものもあれば、何語か不明なものもあります。字面のバランスで組み合わせの良いものを描き込んでいます。文字を作品の一部として僕なりに取り入れてみました。自由に見てほしいです。

レオナルド・ダ・ヴィンチの鏡文字や、エドワード・ゴーリーの精緻なハンドライティング、古書に誰かがメモ書きした異国の言葉など。意味はあいまいでも文字があることで程よい緊張感が漂う美しいものってありますよね。

作品をどんなふうに愉しむのがおすすめですか?

作品が息づく瞬間は2度あると思っています。僕の手元で作品が出来上がったときと、壁に飾られたとき。幸せなボタニカルアートは、みなさまの生活の中で育っていくものだと思っています。雑貨や家具と同じように、心地よい空間を作るための選択肢になればうれしいです。

botanicalシリーズはトーンを揃えて描いているので、いくつか並べてもまとまります。お部屋の一角に絵を飾るコーナーを作って、複数枚飾るのもいいですね。玄関やリビングはもちろん、個人的におすすめなのはダイニング。ぜひ食事のひとときに眺めて愉しんでください。

イデーでは、暮らしに気軽にアートを取り入れる"Life in Art"という取り組みをしています。coricciさんは暮らしとアートの関係についてどのように考えますか?

一言ではなかなか難しいのですが、みなさまの暮らしにアートを取り入れていただけるとアーティストは元気になります。僕はたくさんの作品ジャンルを描いていますが、大きく2つのタイプの作品を描いています。ひとつはオリジナル。これは僕、作り手の側から生まれるアートです。もうひとつは依頼をいただいて描く作品。いわば飾る人の側から生まれるアート。どちらも等しく大事だと思っています。

後者について、僕はみなさまの動物パートナーをテーマにした作品をたくさん制作しています。正確なデッサン力が必要となるポートレートや、モデルとなる動物パートナーをモチーフにした抽象画から、挿し絵のようなテイストのものまでいろいろ描いています。誰かから期待されると「よし、頑張らなきゃな」となります。みなさまから出来上がった絵がご家庭に飾られている写真をよくいただくのですが、僕はその写真を見るのが大好きなんです。「うちの子がアート作品になった」ということを本当に喜んでくださって、積極的に飾ってくださる熱量を感じます。やはり自分の作品を誰かが飾ってくれたり、コレクションしてもらえることが次に向かうエネルギーやモチベーションになっているのだと感じます。

アートって暮らしの中にさりげなくあるものですよね。もしかしたら投資としての側面もあるかもしませんが、本来はもっとパーソナルなもので、作品を見たときに手元に置きたいと思えるかどうかだと思います。

たとえばゴッホのような素晴らしい作品。生前は誰も買わなかった絵が、死後誰も買えない高額な絵になってしまう、そんな極端なことが起こるとちょっとアーティストが疎外されているような気がします。そうではなく、いいと思ったものを有名無名問わず身近に取り入れるというムーブメントは、アーティスト全体の励みになります。やっぱり自分が生んだわが子が誇らしげに飾られている姿を見ていたいです。

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coricci

coricciコリッチ

版画技法を応用した独自の画法を追求。ライフワークとしてペットパートナーの作品を多数制作している。
2019年 表参道 個展
2021年 IDÉE Life in artプロジェクトにアーティストとして参加。MUJI銀座にて展示を行う。