広告の世界で長きに亘って活躍した後、56歳で画家としての新たなスタートをきった「赤の画家」笹尾光彦さん。
以前からイデーの家具が好きだったという笹尾さんとはじめて展示会を開催したのは2008年。その後もご縁が続き、このたび4回目となる展示会を実現させることができました。 笹尾さんと再び何かを作り上げることができる喜びと、おかえりなさい笹尾さん!という気持ちを込めて、今回の展示会を“REVISITED”と名付けました。
展示会を開催するにあたって、改めて笹尾光彦という一人の画家を紹介したい、そんな思いで私たちは笹尾さんからさまざまなお話を伺いました。
暑さも少しおさまった秋晴れの9月下旬、都内にある笹尾さんのご自宅兼アトリエを訪ねました。
築60年の古い家を、コラージュ作家である奥様のつぐみさんとおふたりで少しずつリフォームして暮らしていらっしゃるご自宅には、つぐみさんがちりばめた「すてきなものたち」の中に笹尾さんの「すきなものたち」が控えめに、抜群のポジションで佇んでいます。
フランスをはじめ何度もヨーロッパへ旅をされているおふたりらしく、インテリアには旅先で気に入って持ち帰ったさまざまな品が並んでいます。ところどころにイデーの家具を取り入れていただいているのがなんとも嬉しいポイント。笹尾さんの作品に登場する赤いソファもダイニングのそばで存在感を放っていました。
ひと通りお部屋や2階のアトリエを見せていただくと、
「みんな、座って待っていてね、僕は今からおやつを作るから」
と自らキッチンに立ち、しらたま作りに取り掛かる笹尾さん。
笹尾さんは普段からキッチンに立たれるんですか。
「僕はほとんど立たないんだけど、朝ごはんは僕が当番。
パンとコーヒーとヨーグルトとね、あとはグレープフルーツとか」
毎日、つぐみさんとお茶を淹れる当番決めのセブンブリッジをするのが日課だそう。
今日はセブンブリッジなさったんですか。
「やったんだけどね、今日はあまり時間がなかったから途中でやめちゃった」
そう言って、しらたまと葡萄入りのあんみつを運んできてくださいました。
和やかな雰囲気のなか笹尾さんお手製のおやつをいただきながら、2008年にはじめてイデーで開催した展示会の話題に。
「(当時の写真やブリーフィングを眺めて)あの時はイデー5店舗同時開催だったんだよね。真面目にやったよ(笑)。その前にいろいろ調べたんだよ。イデーのこと調べていろんなこと考えて、どういう風にしようかって5店舗の共通ユニットを考えてね、こうしたいって。」
その年もBunkamuraの展示もやったんですよね。すごく大変でしたね。
「でもこういうのたまにやると楽しいのよ、すごくエネルギーが沸いちゃうんだよね」
まるでつい最近のことのように、当時のブリーフィングを楽しそうに眺めながら振り返ります。
あれから11年たちますが、笹尾さんに何か変化はありましたか。
「同じ絵を描いているけど、やればやるほど自由になれている気はするんですよ、不自由になるんじゃなくて。歳はとったけど今だったらどんなクリエイティブなことでも対応できるし、人の良い物もすごく分かるしね」
そんな笹尾さんに、ほぼ日からロゴデザインの依頼が舞い込みました。
広告業界から転身して22年、その依頼は画家・笹尾さんにとって思いもよらなかったお話だったそうです。
「新しいこともできそうもないという感じがせず、前よりかえってアイディアが出る。
頭がパンパンになっちゃうんだよね、次から次にやりたいことが浮かんできて」
そう力強く話す笹尾さんは、まさしく今が「旬」。画家になって22年経った今も、衰えや消極的な印象を全く受けません。
笹尾さんのライフワークであるBunkamura Galleryでの個展も20回を超えました。 そんな笹尾さんの口から意外な言葉が出てきました。
「初日を迎えるまでは本当に毎年緊張するんですよ。誰も明日来ないんじゃないかって」
20回以上やってもですか?
「全然慣れない。だからここからは大変ですよ、初日迎えるまでは不安で」
それは笹尾さんの個展に取り組む姿勢やお人柄が表れるエピソードでした。
「(それでも)やめようと思ったことはない。ないですよ。毎年やってないとかえって調子狂っちゃうし。もし個展がなくなっても描いてますよ」
若い頃は抑制されていたという「描くことの楽しさ、自由な発想」をいま存分に開放して描き上げているという笹尾さん。その作品一点一点をぜひご覧ください。
静岡市生まれ。多摩美術大学卒。
日本画家の父の影響で、幼い頃より絵に興味を持つ。大手印刷所デザイナー、外資系広告代理店クリエイティブディレクター、その後制作担当副社長を務め、広告業界で活躍。その間ヨーロッパ、特にパリへ何度も足を運ぶ。仕事のかたわら絵を描き始め、本格的に画家になる決心をする。