BOTE & SUTTO Vol.1 深澤直人と益子の3つの窯元が挑戦する新しい器

栃木県・益子町は、年に2度開催される陶器市に、全国から計60万人もが訪れる陶器の町です。
約170年前に藩の御用窯が置かれ陶器製造が始まり、1871年の廃藩置県で御用窯は解散しましたが、職人たちは組合を結成し活発に作陶を続け、活気ある益子の地には多くの職人が往来していたそうです。1924年、陶芸家の濱田庄司は健やかな職人たちがいる益子で働きたいと、この地に窯を建てます。当時、産業は少し落ち込んでいましたが、濱田は「益子らしく健康的な器をつくり、皆で東京へ売り込もう!」と人々を奮い立たせました。この濱田の思想は、その後の益子に脈々と引き継がれていて、ここではずっと、外からの人々を受け入れるオープンな雰囲気、自由さの中でものづくりが行われてきました。

現在、益子町では窯や個人を含め400名ほどが作陶をしています。陶器市の時期は賑わいを見せるものの、現在の生産量は1997年のピーク時と比べて1/3に、さらに2011年の震災以降、来町者が減少していました。そこで益子町は町のアイデンティティを更新し、それを発信していこうと2016年にプロジェクトを立ち上げ、デザイナーの深澤直人さんをまちづくりアドバイザーに迎え、まず益子の良いところを視覚化する作業を進めました。

そのうちに深澤さんは「益子町を考える上で欠かせない益子焼。でもどういうものを益子焼と言うのだろう?」という疑問に行きあたります。濱田庄司以降、益子には出身地や経験を積んだ場所、プロ・アマ問わず作陶をする人々が集まり、自由でおおらかなコミュニティへと成長する一方で「益子焼とはこういうもの」というイメージが薄れていきました。そこで深澤さんは町役場と共に、益子の作陶家たちに益子町のアイコンとなる陶器を作りましょうと声をかけ、3つの窯元が参加し「BOTE & SUTTO」の開発が始まりました。

まず深澤さんは和洋問わずマルチに使え食卓の定番になる、ボテッとしたものとスッとした器のタイプを36種類考えました。そして簡単なスケッチとサイズとともに、益子の土を使い、型は使わず、色は益子の主な7色の釉薬から<黒>と<並白>にする、といった方針を作りました。つまりデザインではなくガイドラインを設定したのです。これに沿って職人たちが試作を始めました。

「深澤さんからボテッとスッとという言葉が出た時、ボテッは今までの益子焼のイメージでしたが、その反対のスッとした器が加わることで今までの益子にはなかった表現に、そしてこれからの益子焼のイメージになるのかもしれないと、案外すんなり腑に落ちました。」とプレート全般を制作する大塚さん。

BOTE & SUTTOの土鍋は、益子ではめずらしく鍋作りの経験がある和田窯が担当しています。オリジナルの日常使いの食器の製造販売も手掛ける和田窯では、普段から型を使うことはほとんどなくろくろで成型をしています。不慣れなまっすぐのラインを出すのに苦労したと言う伊藤浩二さん。

「土鍋はスッとのタイプだけです。いつも丸っこいものを作ることがほとんどなので、スッとしたまっすぐなラインを表現するには、手や指だけではとても難しく、必要な道具を自作したりもしました。」

BOTE & SUTTOではポット、マグ、ピッチャー、植木鉢などいわゆる「たちもの」の制作を担当する濱田窯。濱田友緒さんは、祖父・濱田庄司が作陶をしていた場所を引き継ぎ個人作家として、また濱田窯を仕切る主人として活動をしています。
BOTE & SUTTOでは最終形になるまでに5〜6回の試作を行い、何度も深澤さんと確認作業を行なってきました。

「偶然にできた色やタッチに深澤さんが『これいい!』と言うことが多々ありました。我々にとって偶然の産物は毎回同じようにはできないために、無条件に無理と思ってしまいます。でもある時ふと、深澤さんは、これをやってと言っているのではなく、広い視野で追求していく姿勢が大切だよと言ってくれているのではないかと思いました。当たり前と思って続けている事の中に、見過ごしていたり見直すべき点があるのでは?と。」

色選びに関しては「当初はぴんと来なかった」と皆が一様に言います。深澤さんは、最も益子焼を表していて普通の色と感じる色として、<並白>という透明釉で基礎的なものと<黒>を選びました。しかし窯元たちは、かつて濱田庄司が「流し掛け(釉薬を柄杓でダイナミックに掛ける装飾方法)」という技法を編み出した時に、益子中がこぞって真似した状況を現代に再び起こすような、何か新しいことや表現をするのではないかと想像していたのです。

「<並白>は素材名なので、普通我々はこれを作品名にはつけません。つけるとしたら<地釉>とか<透明釉>といった言葉になります。それに<並>という言葉自体があまり良い感じがしません。でも深澤さんは『いつもはベースに使っているだろうけど、今回は表に出しているのだからそのまま<並白>という名前でいいのでは?』と言われました。」という大塚さんは「自然体が一番。これからはシンプルだよ」という深澤さんの言葉が強く印象に残っていると言います。

かつて濱田庄司も「自然に生まれるかのように品物が生まれるのが一番」という言葉を残しました。 深澤さんもまた、みんなが当たり前、不可能、不自然だと思い込んでいることを、軽やかにひっくり返していったのです。

深澤さんが描いたのは職人がその通りになぞるためのラインではなく、範囲を示す輪郭のようなものです。職人はその輪郭の中で、腕をふるい、益子焼にまつわるあらゆる概念を形にしていき「BOTE & SUTTO」は生まれました。

「益子で作陶をする人たちがこれを見ていいなと思ってくれて、参加したいと思ってもらえたら嬉しいです。量産が始まれば一つの窯で製造することが難しくなる可能性があります。その時、同じクオリティで作れる作り手が増えていく動きが生まれるかもしれない。そこに到達したら僕の役目は一旦終了かもしれません。」と深澤さんは言います。

窯元の3人も今後の展望をこのように語ります。
「BOTE & SUTTOのものづくりは渡された図面通りに作るのと違い、我々の感覚や判断にもある程度委ねられたため、益子の生き生きとした自由さや、益子の歴史や背景までも内包するものになったと思います。参加したいという窯元や職人にプロセスを引き継ぎ、製造を分担できるブランドにできるのが理想です。その時ろくろで作るというガイドラインについては、複数の職人が手、感覚を寄せて行かなければならないので、相当ハードルが高い活動になるのは確かですね。」

今回は器の制作に関わったひとりひとりの思いやものづくりの背景に迫りながら、BOTE & SUTTOのできるまでをご紹介しました。
第二弾として、BOTE & SUTTOと料理の組み合わせについての特集を近日公開予定です。どうぞお愉しみに。

深澤直人

卓越した造形美とシンプルに徹したデザインで、国際的な企業のデザインを多数手がける。電子精密機器から家具、インテリアに至るまで手がけるデザインの領域は幅広く多岐に渡る。デザインのみならず、その思想や表現などには国や領域を超えて高い評価を得ている。英国王室芸術協会の称号を授与されるなど受賞歴多数。2018年、「イサム・ノグチ賞」を受賞。多摩美術大学教授。日本民藝館館長。

濱田窯 代表 濱田友緒

1930年濱田庄司が益子町道祖土に開窯し、1978年に庄司没後は次男の晋作が二代目として引き継ぎ、現在は三代目の友緒に至る。庄司が唱えた「健やかな美」を元に、庄司、晋作、友緒がそれぞれデザインを重ね工房の職人が制作する窯ものを、益子の伝統の蹴りロクロ、釉薬、登り窯にて手作りで焼いている。

清窯 代表 大塚一弘

1969年父である故大塚清章が生まれ育った益子町道祖土に窯を築く。1989年に「清窯」二代目として、一弘が清章の跡を継ぎ現在に至る。伝統を受け継ぐ益子焼を制作しながら、益子焼の可能性を広げる新しい表現に挑み続けている。

塚本倫行
道祖土和田窯 代表 塚本倫行

益子町益子にある和田窯は、1981年に合田好道・和田安雄と益子の有志数人により、指導所として使われていた建物を移築してあった現在地に「合田陶器研究所」として創立された。 2000年、合田好道が他界し、合田の一番の理解者である和田安雄の下「道祖土和田窯」として新たなスタートをきった。

Exhibition  BOTE & SUTTO

展示会は終了しています

イデーショップ 六本木店では、益子で生まれた新しいブランド
「BOTE & SUTTO」の展示販売会を開催します。
「益子焼とはどんなものをいうのだろう」という問いから、
ディレクターの深澤直人さんは益子の土、釉薬、形、歴史や背景を掘り起こし、
抽出したエッセンスからその輪郭を浮かび上がらせました。
この輪郭をもとに深澤さん、町、作陶家たちが一緒に作り込んだ器は計36種類。
すべて手で作られた、味わい深く食卓の定番となる新たな器の誕生です。

トークイベント
日時:2019年1月25日(金)18:30〜20:00
出演:深澤直人氏、大塚朋之氏(益子町長)、濱田友緒氏、大塚一弘氏、塚本倫行氏
※入場無料、予約不要。
トーク終了後レセプションパーティーを予定しています。

Exhibition BOTE & SUTTO