鹿児島にある知的障害者支援施設「しょうぶ学園」では、利用者が日々の活動の中で、自由で力強い作品を数多く生み出しています。その魅力に惹かれた私たちは、2015年の出会い以来「POOL」の取り組みのなかで、コロコロのもの、マチマチの灯りなど、彼らとコラボレーションしてさまざまなプロダクトを製作してきました。
今回しょうぶ学園を訪れる機会を得て、緑がのびのびと育つ心地よい空間で施設長の福森伸さんにお話を伺うことができました。しょうぶ学園が現在の工房スタイルに至った経緯や、フィロソフィーについてご紹介します。
木々が生い茂る敷地内。蕎麦屋、パン屋に迎えられ先へ進むと蔦の這う漆喰の建物、その先にはテラスのあるレストラン、太陽の光がふりそそぐ広い芝生の向こうには大胆にペイントされたビルが見えてくる。昼寝をしたくなる公園のような、散歩で迷い込みたくなる街のような場所、障害者支援施設「しょうぶ学園」はそんな場所でした。
しょうぶ学園には約130名ほどの利用者と、100名ほどのスタッフがいます。
毎朝9時半のラジオ体操を終えると、利用者はそれぞれ木の工房、布の工房、土の工房、紙の工房、食の工房(蕎麦屋、パン屋、レストラン)で創作活動の時間に入ります。
どの工房で活動をするかは、利用の際に工房体験を行い、利用者と活動の「フィット感」を探り当て決定しているそうです。
現在の施設長、福森伸氏。両親が1973年に設立したしょうぶ学園で働きはじめた当時、何もできなかったと言います。でもここに来たからには何かをしなくてはならず、ふと家具を作りたいと思い、独学で少しずつ道具を揃えながら何とか作り始めました。現在のとても充実した木の工房の前身です。今では施設内のほとんどの木製品はここで作られていますが、当時の、ゼロからとにかく作ってみるという日々は福森氏に、ここで利用者が行っている下請けの仕事に疑問を投げかけました。当時はセメントで建築の基礎の枠を作るとか、大島紬の織りの作業とか、大半が仕事をするという感覚。そこに「オリジナリティ」はなかったのです。
障害者の施設はどうしていつも弱い立場にあるのか。常に与えられ、寄付や仕事をもらい、ありがとうと感謝をする側。同じ人間なのだから、障害のあるなしに関わらず、お互いに与える、もらう、そういう関係にはなれないのだろうか。「作り出す」ということはできないのだろうかと福森氏は思い始めます。こうして1988年頃から下請け作業をやめ、徐々に現在の工房スタイルへと変遷していきます。
障害者支援施設の役割とは、一般の人にできるだけ近づいた行動様式を覚えさせたり、 社会の中に入った時にみんなと同じことができるよう訓練するというのが一般的です。しかししょうぶ学園では教えるというより、本人が「これだ」と思えるものに出会える環境づくりに重きを置いています。
「僕らは自分の居心地の良い環境を模索し選択することができますが、障害を持つ彼らは、自分の良いところを自分で明確に理解できませんし、探すこともできません。この場所を自分から出て行くこともできないし、食べる事もできない。だとしたら、僕らが、彼らが行くべきところ、居場所をフィットできないだろうか。100%ではなくても「やりたい」と思うことに没頭できる環境作りができないだろうか」と福森氏は考えました。
小さな世界でも安心できる場所を作れば人間は何かをやり出す、始めやすくなる。いづらい場所では何かをするのも難しいし、やろうと思ってもやめてしまう。つまり環境がとても重要ということ。たとえば障害が重く「わーっ」と大きな声を上げてしまう人が、訓練によって黙ることができたとします。そんな時福森氏は、静かになったね、成長したねよりも、静かになったけど苦しいねと思うことの方が多いそうです。それならば、しょうぶ学園は外に出るとできないことができるパラダイスにしたほうがいい、そう考えて福森氏はこの10年間やってきました。
しょうぶ学園の利用者の方が作るものには、とてつもないエネルギーが宿っているように思います。「どうだ!」と飛び込んでくるので「こうだ!」と我々がとても素直に単純に反応できる何かがあります。
「それは彼らは人に見せたいとか、高く売りたいとか、価値観のために作っていないからかもしれませんね」と福森氏は言います。良い言葉で言えばモノだけに自分の気持ちをぶつけている、悪く言えば他者を排除している。どちらにしても、自分だけの純粋な考えでしかないから、インパクトは大きいけれど不快なものはない。
利用者の一人に、何十年もずっと猫の刺繍を作ることで自信を持って暮らしている方がいるそうです。絵の工房ではある女性が、延々とドットの絵を描き続けていました。木の工房で活動する男性は、木を彫ってボウルを作ろうと言うときに、最後まで掘り続けしまいには穴を開けてしまった。おもしろいから、手が動くから、それをやる、やってしまっている、とても原始的な純粋な世界。
「僕らだったら猫だけで自信が持てるでしょうか?猫がうまくできたら次は?穴を開けないようにするには?いくら売れた?家を建てられたらある程度成功、やっと少し自信を持てた、でもまだ不安。」と福森氏は言います。私たちはきっとそこからほとんど脱却することができないのだと思います。作る目的がプロセスの中に100%ある彼らは、自分であり続け、自分らしく生きているのではないでしょうか。「それに比べて僕らはプロセスよりも結果の方が大きい。彼らに憧れる」と福森氏はつぶやきました。
しょうぶ学園はアート活動をし、アート作品を作り売ろうとしているわけではないと言います。
「彼らが表出するものを、僕はおもしろく、美しいと思うから、彼らが安心して手を動かすことに没頭できる環境を作りたい。彼らの行動が、社会生活の中では問題とされてしまうことだとしても、この場所すべてをアートという空間にしてしまえば、それは表現となり、彼らが存分に活動できる最高の居心地の場所と言えるのかもしれない」と福森氏は考えています。
「それほど彼らと僕らを分けようと意図している訳ではないけれど、僕らは僕らの価値観で生きていて、障害を持つ彼らは彼らの価値観で生きている。 他人の評価を気にして生きる泥臭い僕らはその世界でどっぷり能力を活かして、彼らが純粋にただただやりたいと手を動かして生み出した美しいものを、世間に見せて、作品として販売する。そういうことをどんどんやればいいんだとある時振り切りました」と福森氏は言います。
「彼らは彼らの世界で自分のペースで手を動かしている。そこで生まれた美しいと思うモノをどうするかは、一緒に考えましょうでもなく、コラボレーションでもなく、単なるこちら側のエゴ。僕らはただ、利用者さんに素材をいただいているのです。彼らは提供者なのです。」
コラボレーションのオファーはほぼお断りしているそうです。それは、まずは利用者が先、デザインは後、というしょうぶ学園の方針が崩れ、利用者の方がペースを変えなくてはならない状況になりやすいからです。
「POOLは、僕らは監修の皆川さんと信頼関係があるからやっています。彼とは15年ほど前に知り合った。皆川さんなら僕らと同じような感覚で、彼らの美しいものを見つけ、尊重し、素材を借りるという扱い方をしてくれると信頼しています。」
POOLのプロダクトラインナップ鹿児島市に1973年に知的障害者支援施設として開設。利用者の感性溢れる姿勢に「与えられる」側から「創りだす」側になることを目標に、85年から「工房しょうぶ」と称し、木工、陶芸、染織などのクラフト工芸活動を中心に利用者の個性を発揮できる環境に転換。その後、絵画や音楽などの芸術表現活動が広がり、展覧会などで障がいがある人たちの才能のすばらしさを伝えている。06年には人と環境「衣食住+コミュニケーション」をテーマにものづくりと環境と就労を融合させ、パン工房、パスタカフェやギャラリー、地域住民が利用できる地域交流スペースなどを整備し、開かれた施設づくりに取り組んでいる。
「minä perhonen」デザイナー。POOLの監修を務める。生地産地に足を運ぶことから始まる、オリジナルデザインのテキスタイルによる服作りを行う。流行にとらわれないデザインと物づくりの思想は、北欧的なものと日本的なものの共通項として語られる。
http://www.mina-perhonen.jp/